学校では、春の運動会がだいたい終わって、
慣れてきた学校生活の中で、それぞれの素が
出てくる頃です。
授業中は、席に座って、人の話を聞くという
わたしたちがあたりまえ思っていることが、
最近では、あたりまえと言えなくなっているなぁと感じます。
勉強をする体ができていないことは、ひとつの原因です。
就学前に、遊びこめている子どもが少ないと言われていますね。
45分間の授業中、しっかり座って、姿勢を保てる子どもが、本当に少なくなっています。
『あたりまえ』なんて、本当は、人によって違うし、自分のあたりまえを押しつけたところで、心地よくないですね。
子どもたちは、それを教えてくれているのだろうと思います。
いわゆる『あたりまえ』のことができない子どもたちは、学校生活では、いつも、叱られる対象になります。
叱られることを心地良いと思う人は、まずいないと思いますよね?
そんな心地良くない学校という場所に、毎日通ってくる子どもたちの立場になってみたら、本当にえらいなぁと思ってしまいます。
叱ったところで、子どもたちが変わるわけではありません。
むしろ、心はどんどん離れていくばかり。
そこは、叱るのではなく、じっくりと向き合い、コミュニケーションを取っていくことが、とても大切になってきます。
我が子といえど、相手のことは、ほとんどわからないのがあたりまえです。
だからこそ、相手を知るために、コミュニケーションを取るのです。
コミュニケーションを取っているうちに、子どもの心と私の心がカチッとはまる瞬間を感じることがあります。
そこを逃さないで、「今日のあなたを見ていると、私はとても嬉しかったよ。」と伝えたとき、子どもたちが、輝くような笑顔を見せる瞬間があります。
そんな瞬間を味わえるから、教員を辞められないなぁと思うのです。
一度カチッとはまった心は、どんなことがあっても、離れることのない絆になると感じています。
(大沼 縁)