違うことは可能性の枠を拡げる

2022-10-03

今の社会は、多数派でいることが正しく、
少数派は異端と見られることが多いです。

常識的なことが正しい。

私たちが受けてきた教育では、
みんなと同じことが正しいと
されてきました。
ですから、私たちはいつの間にか
『みんなと同じ』であることが安心なことと
思うようになってしまいました。

けれども、それは、良いとか悪いということでは
決してなく、ただ、ひとつの見方であるだけ。
本当はたくさんの捉え方、考え方があるはずです。

だからこそ、たったひとつの考え方を正しいと
して、それ以外にないと決めつけてしまうのは、
とてももったいないことだなと思うのです。

例えば…。
私は数年前に、癌を患い、
余命宣告を受けました。

普通なら、落ち込んで立ち直れないような
出来事であったかもしれません。
けれども、私は、そうは捉えなかったのです。
むしろ、ラッキーと思ったほどでした。

それはどうしてだと思いますか?

もちろん、死んでしまうことをラッキーと
思ったわけではありません。
このまま行くと、そうなってしまいますよという
一本の道を示してくださったので、
他の道がいくつも見えてきたのです。

だから、ある意味ワクワクして、
喜びが湧き出てきたのを
今でも覚えているほどです。

「あー、これで終わりだ」と捉えたら、
それで終わってしまうかもしれない。
けれども、他にも道があると思うと、
終わらない道も見つけられるのですね。

こんなふうに、だれかの考え方ではなく、
あなたがどう捉えたいかを
もっともっと考えてみませんか?

それこそが、あなたの枠を拡げることであり、
可能性は無限にあるのだと、
感じていただけるのではないでしょうか?

コミュニケーションとは、
誰かと同じ考えにすることではなく、
自分と異なる考え方があることに気づき、
「そんな考え方もあったんだ。」
「それもいいね。」
と感じ合えることだと考えています。

皆さんはいかがでしょうか?
(土橋優子)