子どもたちの想いに寄り添うこと

2022-11-19

スコーレ保育園の4.5歳児クラスで、
絵本作りをしています。

まだ字の書けない年中さんを
一人一人みるので、
年長さんには自分で字を書いてもらうことが
多くなります。

ある時、ひとりの女の子が
「先生、私ね、文字を書くことに全く興味がないの。
だから全部かけないんだ。絵で描いたりしてもいい?」
と話してくれたので、
「もちろん、どんなふうに書いてもいいよ。」
と答えました。

文字を書くことに興味がないことは
「そうなんだな。」と思ったのですが、
その時の目がとてもまっすぐで、
その音に迷いがないという感じがして、
その感覚がどこから来ているのかを
知りたくなりました。

その女の子は、
「えっ、だって、今では文字を書かなくても
良いと思うの。」
「書くことよりも、読むことと打つことが
できれば、それでよいでしょう?」
「文字を書けるようになるために
時間を使うよりも、ほかに時間を使いたいの。」
と、笑顔で話してくれたのです。

なるほど!その通りですね。
私たち大人が受けてきた教育では、
「字は書けて当たり前。書けるようにならないとだめ!」
というものでした。

確かに書けた方が良いと思いますが、
今他に時間を使いたいことがあるという想いを
しっかりと人に伝えられるって
とっても素敵なことだと思うのです。

そのうち書くことが必要だと感じる場面に
その子が直面することがあれば、
そうするでしょうから、今から書けるように
なることを前提にする必要はないなと
思ったのです。

大切なことは、
常識や当たり前と言われることを
最優先にすることではなく、
本人の大切にしたいと思うことを
大事にすることで、
それは、良い悪いという基準ではないのです。

「教育とは」という考え方で判断せず、
学んでいく順序も、その子に応じて
異なっても良いのでは?

ただし、今の学校教育では、
それにすべて対応していくことは
難しいと思うので、
幼児期というフリーな時期にこそ、
自分の想いを誰かと共に大切にできたという
経験をしていくことは、決して無駄なことではないな
とうれしくなりました。

皆さんはどう思いますか?

人生の先輩として、大まかな人生の道筋が
見えていたら、お子さんがそれに沿うように
今から調整していくことに時間を使いますか?

それとも、いずれは沿うことになったとしても、
今だけでも、彼らと一緒に大切なことを
共有する時間にしますか?
(土橋優子)